鎌倉時代には、御成敗式目に不倫蜜懐に関する処罰とは?
「不倫は所領半分没収の上、職務罷免とされ、武家文化の中で厳しく処罰されるきっかけとなった。
しかし、庶民に対しての明確な取り決めはなく、江戸時代以前には配偶者以外との性交渉は珍しいことではなく、近年に入っても戦前では一部にそのような風潮は残っていたと言われる。
その一方で、寛保2年の「公事方御定書」※1に“不義密通を死罪とする”と定めている。
当時の真相は分からないが、近年まで“浮気は男の甲斐性”と既婚男性の不倫が容認されている風潮があった。その反面、既婚女性に対しては1947年まで既婚の女性が不倫に及んだ場合男女とも姦通罪という罪に問われた。」と記されている。
※1 読み 「くじかたおさだめがき」 8代将軍 徳川吉宗の命で作られた。
幕府の「司法内規集」のことで「裁判や刑の基準」を定めたもの。
近年は、男性の浮気、不倫だけでなく、経済的・精神的な女性の自立のもあり女性の浮気、不倫の増えている。
現在は、国が個人の土地を没収したり職務罷免を言い渡たしたり、まさかの死罪とはならないが、少なからずの代償はあるだろう。
離婚となれば、土地や預貯金があれば慰謝料として半分はパートナーに権利があるので渡すことになるだろう、子どもがいてパートナーが引き取れば、養 育費と言う形で成人を目どに支払いを続けていかなくてはならない。人によっては、職を変わらなくてはならない人もいるかもしれない。
一番の問題は、色々な物を犠牲にしてまで「愛した」相手と一緒になれるとは限らない。今以上の幸せな生活があるのかも誰にも分からない。